3/37 オセロー

泣こうとしても泣けないけれど、返事をすればきっと涙が出てくるわ

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「あたしはとてもそんな悪いことできないわ、世界中みんなくれるって言われたって。」
「だって、悪いことったって、せいぜいこの世界の中での話じゃございませんか。ですから、世界が手に入れば、悪いったってつまり自分の世界の中の話なんですから、すぐにいいように出来ますわ。」


でも出来ませんよそれは。
っていうお話。

家にあった新潮文庫の古いので読んだんだけど、この戯曲の面白い論点は最後に木下順二がたくさん書いててくれるのでそれを読めばいい。読まなくてもいい。
「Aなる力がBなる力を葛藤の後に圧伏して上り詰めた頂点から、Aは同じBとの葛藤のうちに再び降下の線をたどるという意味において、戯曲の頂点はまた危機(クライシス)とも呼ばれるのであるが、オセローの場合、上昇の時の対立者Bはブランバジョーであるのに対し、この老人は一幕三場以降、五幕二場でその死が語られる意外は永遠に戯曲から姿を消し、降下の時の対立者は全然別のC(イアーゴ)である」っていうのはオセローを主人公に見た時の話だけれど、つまり頂点不明のまま降下が始まるんだけどそれもほんの一瞬で舞台は幕を閉じる。登り詰めている段階でやな予感はもちろんあって、それが目に見えて始まるにはそれなりのきっかけ的頂点が必要で、でもそれがはっきりしないまま下降は始まってて相変わらずの悲惨極まりない終わり方。

四大悲劇ってことで悲劇悲劇というけれど、さっきソンタグの『悲劇の死』読み返してて、シェイクスピア悲劇のほとんどもメタ戯曲だっていうの読んでうへーおもしろいなあって思ってでもソンタグをきちんとすぐに理解するだけの思考力も戯曲関係の知識もない(後者は皆無に近い)から面白いなあ止まりだけれどまあなんかおもしろいなあって思いますいろいろ。