昨日書いた、ハムレットのこと。

どうしても気になるっていうのは、ハムレットがオフィーリアの部屋に突然やってくるシーンのことです。
興味ない人はスルー。

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もとの『ハムレット』ではこのシーンそのものは書かれていなくて、後からオフィーリアが自分の父親に さっきこんなことがありました みたいに語るんだけど、今回のお芝居では実際にハムレットがオフィーリアの部屋にやってくるところが演じられていました。それはそれでぜんぜん良かったんだけど、気になったのは、ハムレットの動作です。
先に原文を挙げてみます。

He took me by the wrist and held me hard;
Then goes he to the length of all his arm;
And, with his other hand thus o'er his brow,
He falls to such perusal of my face
As he would draw it. Long stay'd he so;
At last, a little shaking of mine arm
And thrice his head thus waving up and down,
He raised a sigh so piteous and profound
As it did seem to shatter all his bulk
And end his being: that done, he lets me go:
And, with his head over his shoulder turn'd,
He seem'd to find his way without his eyes;
For out o' doors he went without their helps,
And, to the last, bended their light on me. (Ⅱ. i. 86 - 98)


昨日の劇中でも、ほぼこの通りの演技。ハムレットがオフィーリアの手首を掴んで、腕を伸ばせるだけ伸ばし、片手は眉の辺りに当てオフィーリアをじっと見つめる。そうして腕を振って、両腕でオフィーリアの頭を持って3回頷かせ・・・・・・あれ?
そう、この、And thrice his head thus waving up and down,ってところが、昨日のでは、オフィーリアの動作になっていたのです。
で、その次の場面でこの様子をオフィーリアが父親に話す時も、確か「私の首を3回頷かせ・・・」みたいな台詞になっていて、私は何でそういった解釈になったのかが非常に気になったのです(個人的に思い入れの強いシーンだったから)。
因みにこのシーンの、河合祥一郎先生の訳は、

「私の手首をとると、ぎゅっと握り締め、
それから腕を伸ばせるだけ後ろにさがり、
もう一方の手をこうして額にかざし、
まるで私の顔を絵に描こうとなさるみたいに
じっと見つめ、長いこと身動きなさいませんでした。
とうとう、私の腕をすこし揺すると、
このように三度、頭を上げ下げして
哀れな深い溜め息をつかれました。
まるで体全体が崩れて、消え入るように。
・・・(以下略)」


昨日の芝居はそれほど大胆な解釈とかはなかったと思うんだけど、全体的に「軽み」や「笑い」のかなり強い演出になっていて、このシーンも、なんだかオフィーリアとハムレットが取っ組み合いをしてるみたいな、会場も はっはっは みたいな感じだったのだけど、でもどうしてもこのシーンはハムレットの3回の頷きであってほしかった。
というのもこのシーン、宮本正和先生によると、「ハムレットがオフィーリアの顔の表情、自分を見つめるオフィーリアの反応を見て、自分をオフィーリアの表情の中に見つけ出そうとする行為で、オフィーリアを鏡として自分の裏側を見つめようとした」 場面なのです。父親の亡霊により復讐を迫られるハムレットは、まわりのものすべて、そして自分の中の裏表の存在に耐え難い苦しみを感じており、それが狂気という形をとって内面と外面の分離のイメージを呼んでいる。”to be or not to be”に集約されるような、その苦しみをどうすればよいのかという切迫感―少なくともこれは私の意見だけど、この場におけるハムレットの行動はそれを大きく表しているのです。彼は狂気を得てしまった時点で、裏側に足を踏み入れてしまっている。そんな彼が、表側しか知らないオフィーリアの元にやってくるのだ。宮本先生の言葉を借りると、「ハムレットは生きながらにして自分の死の領域をオフィーリアを鏡として見、オフィーリアも生きながらにして死の領域にいるハムレットを凝視することになったのである」 。
ここで注目したいと思うのが、「生きながらにして死の領域を見た」ということ。これは生死・裏表がある意味で超越されており、私は、これはある種の「悟り」の瞬間ではないかと思います。オフェリヤに「救い」を求めたハムレットはそこに自分の死のイメージを見、宿し、そのことによって自分がすでに生きながらにして死の領域に存在することを「悟る」。そうしてその「悟り」を持って、物語は進むのです(っていうと乱暴だけど、ここで言う「悟り」は、ハムレットに復讐を決意させる物ではなく、あくまで彼に「表裏の存在」を知らしめ、さらに自分の位置を確認させるものってことね)。ハムレットの3回の頷きは、その「悟り」に繋がるんじゃないかと。

ただ、もしここでハムレットがオフィーリアの首を頷かせていたら、それはそれでものすごい切迫感が出てくる気もします。何も知らない相手を頷かせる。それは、「救い」を求めるハムレットが、「救い」としての存在であるオフィーリアに頷いてもらうことで、何か絶対的な"yes"を得ようとしている、というように受け止められるから で、その解釈も有りだなあ、と思ったんだけど、残念ながらそれを「すごいなあいいなあそれ」と思わせるほどの続きが、昨日のお芝居にはなかった気がします。そもそも切迫感に満ちたシーンを切迫感無しにやっていたのだから、それはそれで ふーん くらいに思うべきシーンだったのかもしれません。


「わかりやすく」をメインに置いた舞台だったので、その点から見ると全体的に良かったのですが、『ハムレット』に付き纏う「分裂のイメージ」に「切迫感」がともなっていないのは、どうも物足りないというか、なんというか。ただ、あそこまであっけらかんとしたハムレット役は、ある意味すごく厭世観いっぱい。




それにしてもここまで読んでくれた人、えらい。