これ

本人http://web.sfc.keio.ac.jp/~t00517kt/に了承を得ているのでのっけちゃいますが、こういう文章を書かれるともう勢いで読んでくしかないんですよ。今イングランドポルトガル見てたんだけど、すごい試合でしたね、ポルトガルのキーパー素手!で、もうその興奮とこれで頭の中とかうーわーってなった。もうね、世界には面白いことや嬉しいことやどうしよもないことややり切れないけどやり切ってしまうことがいくらでもあるんだよ、追いつくんだよ、置いてかれちゃ駄目なんだよ、だって世界はかなしいんだから!

感動することに集中したり、重力の係り方がどこにいても一様だなんてとても信じられなくなったり、性的な誘惑を数学的にすり抜けてみたり、いわずとしれたことをいわずにいたり、本当のことは独り言のようにつぶやいたり、願いをかけるなら小さいのがいい、寒すぎる夜だから、と詩をかいて悦にはいり、空気に命の色を吹き付けるアクションとしての歌を謡う人を上まぶたとしたまぶたの隙間に見初めるやそこから水が出て行くのを感じたり、ふたたび大事な言葉を転がしているとぼろぼろと垢がとれだしたので、最後にはなにか本当に本当に大事なものが残るのかという期待をしながらこすりつづけると、そこにはなにも残らず跡形もなく消えうせてしまったのを確認したり、叙事詩が抒情詩より強く、また美しいことに十分同意できるようになったり、書き途中の物語を最後まで保存しないで書くような些細なスリルに祈りに近い感覚を覚えたり、宇宙に近づく方法をドラッグなんてなしに編み出そうとしたり、誘惑を文学的に解釈したり、文学をゴミ箱に棄てたり、僕が時間というものを初めてしった人間ならば、誰にも言わず秘密にしておいたのに、と悔やんだり、友人が僕の曲を何度も聴いてくれていることを知って宇宙に濃いため息をついたり、それと対照的に哲学的な人が、宇宙のように薄いため息を吐くのを雑踏の中で聞き取ったり、憂鬱の漢字がかけない人間が憂鬱を訴えているのをしったり、いつまでも僕は陳述を続けていける力がみなぎっているのをトンでもなく遠い場所にあるように思える指先に感じたり、しかしそれもいずれ終わることを同時に理解したり、退屈の定義を退屈な人に聞いて合点がいったり、教科書どおりの天才を求めている凡庸さを持つ自称天才がいるのを悲しく思ったり(僕のことだ)、地球は一日に一度回れば十分だと思っているし、そしていつか僕の星が、回るのをやめて、宇宙の真中にむかっておっこっていったら、僕にはそれを引き止めやがて大事な人たちのいるもとに戻っていくことができるだろうかと考えたが、程なく絶望した。


ちょっと泣いた。サンキュー。