一番近くのコンビニに行くには少年がダイブして死んだマンションと馬頭観音のある公園の傍をあるかなくちゃいけない。深夜の店員は言葉から日本人じゃないことはわかるけれど「野口」というバッチをつけているから野口さんなんだろう。

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大事なのはどう始めるかじゃなくてどう終わらせるかだ
って最強の文句はいつ聞いたのかなんて忘れてしまってそんなことを聞いたことすら忘れていたけど何事も終わらせるのには美学が必要だと思った 終わる、とは違う。

たかが音楽を聴いていただけのことだけれども、

余韻が次を繋ぐ、という状況に際して終わりに対する無意識の予感なんてものがあったとしたらそれをじわじわと得体の知れない自覚的な不安に変えさせられていたようなものなんだろうなあ。終わりなんていう漠然と決定的などうしよもないものが来ないのは来てほしいときも来てほしくないときもそわそわする。意識が何かが「おわること」を忘れて純粋に惚けた状態で流れていくような経験ってあるんだろうか。それは永遠に続くかのようにように思われた。という類いの感動、は、終わりという前提がベースになってるから余計びっくりする。思っているよりもずっとしっかり、私たちは「終わること」を認識しているねえ。