「眼差しは人間の残滓」

メトロから屋外に出て、地上の燦々たる陽光の中に足を踏み入れて驚いたことのない者がいようか。しかしながら2,3分前、地下に降りていったときも、太陽はまったく同様に輝いていた。そんなにも早く、地上界の天気のことを忘れてしまったのだ。地上界自体も同じくらい早く、この者のことを忘れてしまうだろう。というのも、この者の生涯について、あいつは二人か三人の生の中を、天気のように優しく、天気のように近しく通過していったよ、という以上のことを、一体誰が語れるだろう。


シェイクスピアやガルデロンの作品には、終幕全体が戦いの場面で占められていることがしばしばあり、王や王子たち、小姓や従者たちが、「逃げながら登場」してくる。その姿が観客に見えた瞬間、彼らは立ち止まる。場面が、登場人物の逃走に停止を命ずる。局外者であり真に優越した立場にある観客の視野に踏み入ることが、見捨てられた彼らに安堵の吐息をつかせ、彼らを新たな空気で包む。だから、舞台上の、「逃げながら」登場してくるものたちの姿は、隠された意味を持っている。この公式なト書きを読むとき、ある期待が作用してくるのだ。すなわち、生涯続く私たちの逃走に関しても、観察する赤の他人たちの前でそれが安全に保護されているような、場所や、光や、フットライトがあって欲しい、という期待が。
                             〜「仮装用貸衣装店」


ベンヤミン読んでたらなんか出てくるかなあとかって『一方通行路』を読みながら、久しぶりに少しぞくぞくしたり泣きたくなったりする感覚を味わう。この人どうせロマンティストでしょ。賢いロマンティストがアクチュアルかつラディカルに思想を放つのは、ずるい。


ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅 (ちくま学芸文庫)

ベンヤミン・コレクション〈3〉記憶への旅 (ちくま学芸文庫)