ボアダム

退屈を考えては退屈が最近は色を変えて滑稽で退屈な退屈の花でも咲くんじゃないかとひやひやする。
グレイプバインが『退屈の花』というタイトルを付けたとき私はあれは中学生だか高校生だかどっちかで、私はそのタイトルがひどく好きだった気がする。退屈の花って咲くんですか。ひやひやする 退屈を、あつめて一気に吐き出す、ということがしたくてずっと、で、それを、したらきっと、なにも無くて愕然とするかもしれない。最近は、「何か」って言葉は好きじゃないね。somethingってね、「なにか」って、そんなに曖昧なら全部nothingでいいよ、とか思う。何かあるかもしれない何か生まれるかもしれない、そういうことは、願っても口にしないでおこうよ何かってなによ何にもないよ、って低温の口は噛み付きかねない。
曖昧さとか最近要らない。
曖昧さに甘んじてたんでしょ偶然も偶然的必然も可能性も、知らない。