e.e.cummings

という人に興味があるので、や、本当はそこまででもないのだけれども、この人の詩に興味があるので、今年1年は勉強すると思うんですが。
この前私の持っていたカミングスの本を見ていた友達が、まあ、この子なら言うだろうな、と思ったんだけど、けっこう長々と見た後にやっぱり、「こいつ変態だな」と言い放ったので、それで凄くうれしくなりました。本をぱらぱらとめくる彼女を横目で見たらバッタの詩とかMay i feel?ってやつとか見てたから。

それでカミングスですが、この人は創作活動を長々と60年間もしていたようなので、詩も書けば小説も絵もかいたんですが、そのへんは興味ないです。愛に満ちたスピリットを持ち続けたそうで、そういうのは詩を読めばたまにくらくらするほどよくわかるので、それでそれは少し苦手なので、どうでしょうか。ただ一貫して言葉のintensityにこだわった点、徹底した孤独と独善、そのへんはおもしろそうな人だ。


要するにこの人で興味がある部分は、言葉のintensityを追求した過程と結果がタイポグラフィという形で、視覚に訴えることから始まるという形で出てきたことです。
タイポグラフィがやりたいです。


アイデアの今出てるやつはとても豪華で、いつもはもちろん高くてあと基本的に専門じゃないのに大金を出せないというよくわかんない心理の為に買わないけど、これは買った。たくさんの装丁家の素晴らしい仕事が満載。特に山口信博による北園克衛のポスターなんかはゾクっとするくらい好きです。(北園克衛の造形詩はまたちょっと違って、第一日本人だからこれをやっていたら卒論単位はもらえないのだけど、プラスティック・ポエトリーとコンクリート・ポエトリーって別物で、コンクリート・ポエトリーの方がやりたいんですね。てゆうかちゃんと調べないと大変そう。先生はまずいないし。)
それでアイデアは特集は「日本のタイポグラフィ」ってことになってるんだけれども、これだけタイポグラフィがブームになってるにもかかわらずなんでそれに付加する形で視覚詩らへんが取り上げられないのか若干不思議に思っていたのだけれども、それはタイポグラフィという言葉自体が日本では誤認されているところが大きいかもしれない。この誤謬は日本におけるタイポグラフィの成熟自体をも完全に妨げてきたそうで、そういうことがアイデアの終わりの方に書かれています。要は、タイポグラフィをカリグラフィやレタリングと混同したり、グラフィックデザインのひとつの素材であるかのような認識をもつ傾向が日本にはあって、それにより現代社会において情報がいかに伝達されているのかすら見誤ってしまっているという話。そういう話はとても興味深い。