考察

さて10ページめくれば20は楽に見つかるであろうたくさんのメタファーは私たちをいちいち弄ぶ。知りすぎたせいで何も分からなくなる時に、知っているか知っていないのかすらわからない宙ぶらりんのしかし鉛のような言葉は容赦なく私たちに懐疑心を植えつけてくるのだ 「緊張」という体験を持って。劇的皮肉を繰り返し「掴み所の無さ」ばかりを強調していく世界で何かを掴むことの必要性を切迫感すら伴わせて突きつけてくる流れはほとんど暴力でもあるし、彼の得てしまった「喪失」は彼自身の「分裂」を以って永久且つ絶対的なものとして闇に葬られ、そこにはもはや「救い」も無ければ「祈り」もないし、あるいは「怖れ」すら姿を失っていく あるのは、「迷い」だけ、それは、彼もそうならあなたも私もそうなのだ。



というのはあいかわらず悲劇ハムレットの話です。ゼミです。劇中効果とかがおもしろいです。


テクスト読みながら、ある台詞の最後、単純な単語なんだけど、
quiet, quiet down.
という箇所に目が止まったまま実際的に目がその文字たちから動かなくなってこれはもう、涙さえこぼれるな、とまで思って、ああ言葉の力をイメージを痛烈な体験として得るっていうのはこういう感動だな!とか思ってたんですが。が。止まった目は冷静に間違いを見つけ出してくれました。
quite, quite down.
でした。

見間違い 聞き間違い 言い間違い が甚だしい人間だと思います自分。特に3つ目。この前も「蜷川幸雄演出で藤原竜也主演のハムレット」ってのを平気で「蜷川竜也のさぁ、」とか言ってましたもん。そこ開けて っておもいながら「そこ閉めて」っていうし。テレビとか見ながらしゃべってると、言いたいものの代わりに目に入ったもの名前言ったりしちゃうし。そうそう、思い浮かんだ言葉が順序を決める前に一気に混じって出てくることが多い。だからしゃべるの緊張するのかもね、書くって楽じゃん。瞬発力ってやっぱり欲しい。