今朝

家を出たら「飽和」という言葉が頭に浮かんだ。
飽和した空気なんてものはもっとしっとりとしたきれいなものなんだと思っていたよ。でも違うね、ただただ重々しい、それだけのじっとりとした空間。白くて薄いのに重たい町。


もう今日は眠れないと思ったのが4時。散歩でもしようかと思ったのが5時で家を出たのが5時半。歩くと途中で嫌になった時しんどいから自転車に変えて朝の町に出てみた。どこへ行きましょうか。私の家はT字路に面しているから選択肢は3つです。いつも学校へ行く時は左。前の道は陰気だから通らない。じゃあ今朝は右へ行こうって自転車を走らせ、ふと名城公園まで行こうかという気になった。
私の家から名城公園までは、自転車ならば10分もかからない距離にあって、小さいころ母親と兄弟でしょっちゅう遊びに来ていた。名古屋城のお堀の周りを通ったら妙に懐かしくて、しかもお堀にはちゃんと白鳥がいて、ああこんな近くにこんな生き物がずっといるのねとか思いながら公園が近づくにつれなんだかうきうきしてくる。


「久しぶりの公園はとっても気持ちよいものでした。ランニングコースには早朝ランニングやウォーキングをする人たちがいっぱいいて、溢れる木々からは鳥の声、眠そうな猫がだらだらと朝を過ごし、私はサイクリングコースを走りながら『こんなに素敵な場所がこんなに近くにあったなんて!これからは早起きしてでも来ようっと!』なんて思いました。」


  って?
そうだよ私はこういう朝を求めてたんだよ。眠れぬ夜を後悔しない、さわやかな朝の空気。でもそんなものはなかったね。全く。皆無。まったく!

もうあの公園は、猫に乗っ取られてる。どっちをむいても猫猫猫。黙々と歩いてるんだか走ってるんだか分からないお年寄りたちの間をタラタラと歩く猫。コースの真ん中に座り込む猫。木々が生い茂りすぎて暗い公園内を自転車で走りながら20メートルおきに猫と睨み合う。バサバサっと言う羽音に上を向くとおおきいカラスが低空飛行してる。かと思えば目の前にもカラスが立ちはばかっていて怖くて方向転換をする。こわい。自転車の速度を速めると小さい虫がいっぱい顔に当たる。空気はじとじと。コースを行く人たちはなぜかみんな下を向いている。ああまたカラスが集まってる。ちょっと真剣にこわくなったんだ。だから逃げるように公園を出たんだ。出て思い出したんだけど、昔私の祖母は早朝にこの公園に体操をしに来て、首を吊って死んでいる男の人を見てしまったんだった。「なんだかあの光景が目から離れないのよ」と言っていた祖母の顔を思い出す。ああなんて陰鬱な公園!こんな時はとびきり重たい頭を抱えて朝マックでもするのがいい。そうだマックだ。
で、近くのマックに向かうものの開店まであと1時間もあった。なんていうかこんな時は、なんだか妙に焦ってしまうものです。私の頭の中はなぜか急にもうパン!パン!ってそれしかなかった。パンが欲しい。焼きたてのおいしい香りのパンが欲しい。近所のパン屋によってパンを買って帰ろう。パン屋の朝は早いはず。
早いはず。はず・・・。でも、さすがにちと早すぎた。開いてない。
でもやっぱり、こんな時はパンが必要なんです。もうコンビニでいいや。そう思って近くのファミマに駆け込む。でもこんな時は、いいものにはめぐり合えないもんです。口の周りにチョコレートがついてしまうようなヘヴィーな菓子パンは、疲れ切った夕方に食べるものなんです。焼けたチーズで表面がぼこぼこしてるようなパンは、食べたいもののないお昼に食べるものなんです。ただ長いだけのロールパンにやる気のないクリームが挟まったパンなんかは、中高生が購買で買って食べるものなんです。



すっかり沈みきった自分を乗せた自転車はタラタラと家へと向かう。家の前には浅野さんがいた。浅野さんはすぐ前の家のおじさんで、歳のせいか病気のせいか、1日の半分以上を家の外で立って過ごす。浅野さんはよく我が家を凝視している。私が家を出ようとすると決まって浅野さんがこっちを見ている。5メートルくらい先だろうか。少し早く帰宅する日はやっぱり浅野さんの視線を受けながら家に入る。家は自営業だから、ガラス張りの店で1日働く父が毎日あれに耐えているかと思うと感心する。たまに私はものすごく気分が悪くて浅野さんを睨んでみる。彼は顔色どころか目線すら変えない。あの目には何が映って、なにを考えているんだろうか。


タラタラと部屋に戻って部屋着に戻って今日が日曜日だって気付いてなんとなくものすごく嫌になった。どこもかしこも飽和しきってるんだこの日常。「飽和しきってる」?何だよ「飽和」って。ああなんて難しい言葉なんでしょう「飽和」って!



時計を見て頭の中で指を折りながら計算してみる。今日の約束の時間までまだあと8時間。寝てしまおう。今朝を忘れるべく眠るのだ。