sigh

あれは多分もう本当に小さいとき、どれくらい小さかったかというと「ため息を吐く」という台詞は悲しい時に使うものだとしか知らなかった、それくらい小さい時。
テレビでクイズかなんかの商品がそうだったのか、覚えてないけど、「ため息が出るほど綺麗な百万ドルの夜景」ってなんか摩天楼の夜景とともに出てきたの、それ見て、初めてため息ってのは感動したりした時にも使うのかって知った。ってそうそれなんかやたら記憶に残ってて、小さかった私はもう大きくなったんだけれども、人ってうれしい時も悲しい時も同じ行為をするんだって思ってまたびっくりする。
「ため息」という言葉は多分私が思っているよりそうであってほしいと思ってるよりきっともっとずっと無機質。