読む。

suture

「縫合」とはもともと、ジャック=アラン・ミレールがラカンセミネールにおいて提出した概念である。ミレールはここでフレーゲの数の理論を援用しつつ、主体が象徴界に参入してゆくプロセスを説明している。すなわち、算術におけるゼロ記号の導入=「無」の概念化が数全体の概念を成立させているのと同様に、主体はその存在の条件として、対象の根源的な「不在」を抱え持っている。彼もしくは彼女は、この「不在」を代理のシニフィアンによって想像的に補充することによって、シニフィアンの連鎖に参入し、自らの存在を紡いでゆく。

もしくは、
不在を原因とし、主体が自身をシニフィエとして象徴秩序に登記し、そうすることにより存在と引き換えに意味(象徴)を与えられる。
とか。


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狂気。

フェルマンより。

もし狂気の根底にある問題が、本当に尋ねられないのならば、言語によって本当にその問題を尋ねることができないのならば、つまり、必然的に理性を認識することであり、それどころか理性を肯定することであるので、その問題の系統的論述そのものによって質問することが実際上締め出されるのであれば、また狂気は質問しないという状態の肯定性が本当に問題にならないのならば、文章の構成において、あるいは書くという行為そのものによってその問題が活動し、動き回り、場所を変え、さ迷い歩くことは、すなわち狂気の根底にあるその問題が書き記す、つまりそれ自体を書くことは、同様に本当である。もし狂気が既に逃れ移動した―我々を排除した―場所を除いて、我々が狂気の所在位置を突き止めて狂気を読み取ることができないならば、それは、狂気と関連する問題そのものが問わないからではなくて、狂気が他のどこかで問いかけるからである。すなわち語りかけるのがもはや我々ではなくて、我々がいない時に語りかけられるあの沈黙点のどこかで、問いかけてくからである。