今一番、

欲しいものを挙げろといわれたらたぶん4番目くらいに出てくるのが「快適な睡眠」で、もうかれこれ何年も欲しいなあ状態です。
別に夜遅くまでバイトしてるわけでもないんだからそんなに生活を狂わされるようなことはないと思うんだけれども、もともとあんまり睡眠を必要としない体ってこともあって夜型の生活から抜け出せません。そのサイクルでなれてんならそれでいいじゃんとも思うけれどもやっぱり人間は「寝るべき時間に寝る」事が大事らしくて、それはもう嫌というほど思い知らされているんでね。
何とか早くに寝よう寝ようと心がけはするのだけれども、たとえば10時に家に帰ってきてから1時とかに寝るとかってのは、とても無理です。もったいない。しかもちょっと眠いなーとか思ってもお風呂はいると途端に目がさえてしまう。でもここ数日がんばって12時くらいに寝てみると、決まって3時4時に目が覚めそのまま寝むれずじまい。大学のある日も大して変わらない生活なので平均して5時間未満(午前に授業あったら3,4時間か・・ひどいなあ)の毎日の睡眠を少しでも改善したいと思うのです。じゃなきゃいつまでたっても健康になれない気がする。

で、昨日も例の如く夜中に寝れないなーなんて思って、弟に借りていた本を読みました。中島らも『永遠も半ばを過ぎて』。相変わらずすごいタイトル 「永遠も半ば」って。で、内容はなんていうかもう「この人大丈夫かなー」と思わずにはいられないもので終始声を出して笑っていたのだけれども、でも中島らもは基本的にとても頭がいいからそれもまた笑えてしまう。主人公は写植という仕事を地味にこなす30半ばの男の人で、その人が睡眠薬過剰摂取した勢いで無意識のうちに小説をだーーーって書いちゃう、でそこに詐欺師が絡んでーとかそんなんなんだけどももうこの書いた小説ってのがまた馬鹿って言うかすごいって言うか、驚嘆と爆笑は紙一重って言うか。てかこのタイトル『永遠も半ばを過ぎて』とかもそうだけど。

ところで何で今回わざわざこの本の話なんてしているかというと、言葉に対するある種の執着みたいなものが全体を通じてある気がして。たとえばこんな台詞。主人公が無意識のうちに小説を書き上げたことについて「あなたの中には、(今まで写植してきた)その文字の言霊が残っているのよ」と言われたのに対し、
 「それは違うね。おれはね、いつも言葉に洗われるんだ。目から入って脳を伝って、指先から流れていく。量が多いほどいい。洪水みたいなやつがいい。それも、意味がないほうがいい。写植を打ってると何も考えない。ただ洗われるだけだ。おれは一本のチューブみたいなものだ。とても気持ちのいいもんだよ。肩は凝るけどね(・・・)おれには何も言いたいことはない。表現?そんなことをしたら、おれのチューブは詰まって、身体中腐ってしまう」
で、私はここにとってもピーンときているのだけれども勉強不足なので今は考えまとまってなくて何もかけません。ルイス・キャロルやT.S.エリオットのナンセンス詩や、『ハムレット』で狂ったオフィーリアのわめきを聞きながら「意味のない言葉に、耐え難いほどの意味がある」と言ったレアーティーズとかを思い出しながら、ソシュールの言うシーニュうしのネガティブな差異とか関係論とかをぼんやり考えていたんだと思う 自分は。あー 勉強しなきゃなー。



そういえば最近さっぱり日にち感覚がなく曜日感覚だけで毎日を送っているのでなんとなく今日は2日だと思っていて、だからさっきもう日付も変わって5日になってて驚いた。友達の話でいまいちわかんないところがあったのもこのせいか。